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Rémi sans famille 家なき子レミ

フランス映画 (2018)

エクトール・マロにより1878年に書かれた『家なき子』の映画化。以前に詳しく紹介した『オリバー・ツイスト』と同じで、原作がかなり複雑・冗長なので、映画化にあたっては、ある程度自由な取捨選択が必須となる。原作に最も忠実なのは1981年のTVシリーズ(90分×3)で、これには鉱山での事故という一番冗長で全体の流れに無関係な部分まで含まれているが、悪者ミリガンに関する部分では原作と離れている。2000年のTV映画はジュール・シュトリックが主演する3時間を超える作品だが、2018年版の映画より大胆な “原作からの離脱” が行われている。一方、2018年版は僅か105分の長さなので、一見、原作に近いようで、実は、“矛盾を含んだ大胆な設定変更” を行っている。レミ役のマロームに対するインタビューで、原作を読んだことがあるかという質問に対し、監督の意図しているレミ像と小説とは違うので、読んで欲しくないと言われたと答えている。しかし、実際には、①原作のレミは前半8歳、後半13歳だが、映画のレミは11歳。②原作のレミは歌える程度だが、映画のレミは将来ソリストになるくらい上手、③原作のレミは何でも師匠ヴィタリスの言うがままだが、映画のレミはより人間的で恥ずかしがったり、拗ねたりする、くらいが違っているだけ。一方、映画全体で見ると、多くの矛盾を孕んでいる。表面的ですぐ気付くのが、時代設定。原作は1878年で、だから、映画の中で、ロンドンの市街地を馬車が行き交っているのは至極当然。しかし、この映画の前後には、老人となったレミが登場し、城館の壁面には30歳くらいのレミの写真付きのポスターが貼られ、「1940年10月6日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで歌う」と書かれている。1940-30=1910年が、レミの生まれたらしい年になる。ということは、レミがロンドンに行ったのは、1910+11=1921年。この頃には、ロンドンには自動車がいっぱい走っている〔中心部に馬車など走っていない〕。また老レミは80歳以上には見えない。ということは、老レミの時代は1910+80=1990年。確かに、この老人のレミの城館にはその頃のものらしき冷蔵庫もある。つまり、矛盾点は、レミの少年時代は、原作と同じ1878年、それなのに、老レミのいるのは20世紀末という “齟齬” がある。ヴィタリス一座には、猿1匹と犬3匹がいる。それを、映画では猿1匹、犬1匹にしているが、これは時間が短いから変ではない。ただし、一番有名なカピは、白い犬でなければならないのに、映画では黒。これは、“違反行為” ではないかと思う。一番問題なのは、運河に浮かぶ船に乗っているのは、レミの本当の母と弟のアーサーではなく、ハーパー夫人という創作人物と、その娘で車椅子に乗ったリーズ〔リーズは、原作では花作りピエールの口のきけない娘〕という点。その他、パリのガロフォリ親方も、生涯の友となるマチアも登場しないが、これは何ら矛盾を生じさせない。実際に、詳しくあらすじを書いていると、「おや」と思うことが山ほど出てきて、「この脚本はいったい何なんだろう?」と、呆れ果ててしまう。原作では、ミリガン夫人には、アーサーという “いつ死んでもおかしくない” 子供(レミの弟)がいたので、夫人は地位と財産をキープできた。映画では、夫人にはレミしかいない。そして、レミは10年前に拉致されて以来 行方不明になっている。こうした状況で、そもそも、夫人は地位と財産をキープできるのだろうか? 原作には、こう書かれている。「兄が子供を残さず死ねば、ジェームズは兄の遺産相続人になるはずだった。ところが、彼は、兄の遺産を相続しなかった。ミリガン夫人が夫の死後7ヶ月して男の子を産んだからである。それがアーサーだった。しかし、その子はひ弱で病身だから長くは生きられまい、と医師達は言っていた。この子はそのうち死ぬに決まっている。そして、ジェームズ・ミリガン氏が遂に兄の称号と財産の相続人になる。というのは、遺産相続に関する法律は万国共通ではなく、イギリスでは、場合によっては、母親を差し置いて、叔父が相続することが許されているからだ。ジェームズ・ミリガン氏が当て込んでいた遺産相続は、甥(アーサー)の誕生によって先送りになった」。この文章の中には、それより前に行方不明になったレミのことは全く触れられていない。この論理が正しければ、ミリガン夫人の地位と財産は、とっくにジョームズのものになっているはずだ。だから、アーサーを登場させない脚本は本質的に間違っていることになる。つまり、映画自体が成り立たなくなる。ただし、それは、2000年のTV映画でも同じだった。アーサーは、脚本家にとって、よほど魅力のないキャラクターなのだろう。しかし、それで いいのだろうか?

レミはシャヴァノンの田舎で、母と2人で長年暮らし、今では11歳になっている。雌牛のルーセットがいるので、貧しいながらも健康に育ってきた。しかし、ある日、ずっとパリで建設用石材の切り出しをして、家に仕送りをしてきた父が、労災で足を傷めて働けなくなり、しかも、仕事中の事故と認定されなかったので裁判で争って負け〔家の蓄えのすべて、プラス、貴重な雌牛まで売った〕、すべてを失って家に帰ってくる。レミは、赤ん坊の時、夫がパリで見つけ、身につけていた産着が最高級のものだったので、金目当てに連れ帰った子供だった。しかし、10年経っても引き取り手がなく、今や、暮らしにも困るようになったため、夫は 妻の反対を押し切って孤児院に入れようとする。そして、村までレミを連れて言った時、旅芸人のヴィタリスと会い、1年契約で貸し出す。ヴィタリスがレミを引き取ることに決めたのは、レミの歌の才能に目を付けたから。そこで、レミに字を教え、歌い方をレッスンする。レミにとっては大事な師匠になった。しかし、南フランスの大きな町でいつものように犬と猿の芸を始めると、警官が寄って来て違法行為だとして逮捕される。裁判でも有罪となり、2ヶ月刑務所に入れられるが、その間、レミは、ハーパー夫人の “運河に停泊したままの船” で暮らす。レミがそこに行ったのは、ヴィタリスが逮捕される前に、夫人の娘リーズの誕生会で公演した時、足の悪いリーズと気が合い、夫人に気に入られたからだった。ヴィタリスは、出所して船に来ると、リーズの遊び相手にレミを置いておきたがる夫人に対し、安易で安楽だが誇りのない人生よりは、危険で険しいが、成功すればリーズの夫にもなれる人生の方がレミには相応しいと反論し、レミも師匠の言葉に従う。しかし、ヴィタリスは刑務所内で結核に感染・発症し、しかも、山中で狼に襲われた際に一座2人と2匹の一角である猿を失う。そこに、リーズから、レミの両親を見つけたという手紙が来る。そのためには、ロンドンの弁護士に会いに行かないといけない。ヴィタリスは自分の健康を犠牲にして、レミと一緒にロンドンに行く。だが、レミが赤ん坊の時に捨てられたことを含め、すべては弁護士のジェームズ・ミリガンが、自分の相続の邪魔になったレミを消すための悪だくみだったため、この弁護士の元に行くことは、罠にはまりに行くのと同じだった。レミは、ドリスコルという怪しい家族の住むボロ家に連れて行かれ、殺されそうになるが、それを救い、真の親の名を聞き出したのはヴィタリスだった。ヴィタリスとレミは、母の住む城館に向かって吹雪の中を歩いて行くが、ヴィタリスは力尽きて死に、レミは、一座の犬カピが呼びに行ったミリガン夫人の使用人に救われる。夫人は、レミが肌身離さず持っていた、“レミがいつも口ずさんでいた子守唄をヴィタリスが譜面に書いた紙” を見て、レミが自分の “盗まれた子供” だと知る。

レミを演じるのは、マローム・パキャン(Maleaume Paquin)。2005年12月9日生まれ。撮影は2017年4月18日から始まっているので、撮影時11歳。この映画の前には、TVに端役で一度出ただけ。だから、これが映画初出演で初主演。先のインタビューでは、レミ役の準備はと訊かれ、「昔の服、大きな靴、麦藁帽で別人になろうとしただけ。撮影の前に、コーチが演技のやり方を教えてくれた。悲しいことを思い出して泣くとか」と答えている。次回作は、2019年9月にフランスで公開される『Fourmi』(2019)の主役(下の写真)。


あらすじ

シャヴァノン〔ミルバッシュ高原(Plateau de Millevaches)のどこかにある架空の村〕の外れ〔原作には歩いて1時間と書いてある〕の丘の中腹に住んでいる “バルブランかあさん” に育てられている11歳のレミが、赤ん坊の時に耳で覚えた子守唄のメロディーを口ずさみながら花を摘んでいる(1枚目の写真)。一緒にいるのは、仲良しの雌牛ルーセット。原作では、「牛小屋に雌牛が1頭さえいれば、ひもじい思いをしなくて済む」「草の茂った道に雌牛を連れて行き、誰の放牧地でもないそこの草を食べさせる。そして、晩には家族全員が、バターの入ったスープや牛乳で煮たジャガイモが食べられる」(偕成社文庫、二宮フサ訳)と、貧しい村人の暮らしの中で雌牛の占める重要性を述べている。レミは、「そろそろ帰るぞ、ルーセット、雨が来そうだ」と言い、家に向かう(2枚目の写真)。
 

その夜は、雷雨。そんな時、“バルブランかあさん” は、いつもベッドの脇に座ってくれる(1枚目の写真)。しかし、そんな時も、子守唄をハミングするのはレミの方。くり返しハミングすることで、雷なんか忘れてしまうためだ(2枚目の写真)。
 

レミの “父” は、パリに何年も仕事に行ったままで、たまに手紙を寄こすだけだった。原作では、「8歳になるまで、ぼくは一度もこの家の中で男の人を見たことがなかった」「石工だった夫が、この地方の多くの職人と同じように、パリで仕事をしていて、ぼくが物心のつく年になってからも、ずっと故郷に帰ってこなかった」と書かれている〔原作では8歳の設定だが、映画では11歳〕。ところが、ある日、男がやってくる(1枚目の写真)。それを見た “母” は、外に出て行き、男から紙を渡されると、その場にくずおれる。後で、レミが文字を覚え、彼女に手紙を出した時、村の神父に読んでもらっているので、彼女は字が読めないはずだ。だから、この時は、使いに来た男から、口頭で説明を受け、倒れたのであろう。ここで、夫からの手紙の内容が読み上げられる。「連絡だ。俺は、二度と石切りができなくなってしまった。とはいえ、相当の賠償金が得られると思う。ただ、抗弁には400フランの弁護料が必要だ。俺の計算では、たくわえで何とかなるはずだ。すぐ、金を送ってくれ。そして、勝訴を祈っててくれ」〔この場面が1878年なのか1921年なのかによってフランの換算率は異なり(第一次大戦によるフランの価値低落)、凡そ800円~400円くらい。中間をとれば、400フラン≒24万円となる〕〔原作では、レミとマチアが雌牛を買う場面があるが、その時払ったのは214フラン。800円で計算すれば17万円⇒フランスの3-5歳の乳牛の価格は、現在1500ユーロくらいなので(https://www.capital.frによる)、これを円換算すると、何と17万6000円。嘘のようにピッタリだ〕。しかし、“母” が「たくわえ」を計算しても、400フランには達しない。頭をかかえた “母” にはとって、唯一の道はルーセットを売ることしかない。近所に住む農家の男がやってきて、「近所のよしみで、これだけ出してやる」とテーブルの上にコインを置く(下の写真)。はっきり金貨と分かるのは2枚、不明のものが2枚、大小の銀貨が5枚。金貨には100フランのものもあるが、多くは1ルイ〔20フラン〕。銀貨は5~10フランなので、恐らく80フランくらいにしかならない〔レミとマチアがルーセットの代わりに買った雌牛の214フランに比べれば二束三文〕。それを見るレミの顔は悲しさで一杯だ(2枚目の写真)。ここで、老人になってからのレミの独白が入る。「『雌牛を売る』。この言葉にどれほどの辛さと悲しさが籠っているか、それが分かるのは、ただ、田舎で農民とともに暮らしたことのある人だけである〔ここまでは、原作と同じ〕私にとって、ルーセットは、乳母というだけでなく、友達… 一番の友達であり、ただ一人の友達だった」。その言葉と共に、ルーセットが連れ去られていく(3枚目の写真)。原作には、「もう牛乳はないし、バターもない。朝はひとかけらのパンだけ。夕食には塩をつけたジャガイモだけ」と書かれている。
  

次のシーンは、映画だけのもの。「その後、一晩たりとも、ルーセットを訪れない日はなかった」。レミは、こっそり隣人の納屋に入って行くと、ルーセットを優しく撫でてやり、いつもの子守唄をハミングしてやるのだった(1枚目の写真)。ところが、その日の夜は違っていた。レミの様子を物陰から窺っている1人の老人がいたのだ(2枚目の写真)〔重要な伏線〕。物音に驚いたレミが、慌てて後ろを振り返り、「そこにいるのは誰?」と訊く。初めて見る顔が近づいてくるので、レミは 怖くなって逃げ出す。
 

レミは、家まで飛んで帰り、「ママ! 男がいたよ、大男だ! ルーセットの納屋にいたら、ぼくを捕まえようとした!」と早口で恐怖を語る。その時、背後から声がした。「どうなんってるんだ?」(1枚目の写真)。それは、パリから戻って来た “父” のジェロームだった。ジェロームがレミを見るのは、10年ぶりかもしれない。“母” は、「この子がレミよ」と紹介する。そして、レミに対しては、「この人が、あなたの…」と言いかけると、レミが、「とうさんだね」と受ける。ところが、ジェロームが言ったのは、「こいつ、まだいたのか?」、だった。そして、変に笑いながら、「なぜ、弁護士に払う金が足りんかったか分かったぞ」と言う〔レミの養育費に浪費された〕。レミが、不安になって、「ママ?」と訊くと、ジェロームは、テーブルをドンと叩き、「そんな呼び方やめろ!」と怒鳴る。「その女は、お前の かあさんじゃないし、俺は とうさんじゃない」(2枚目の写真)。その後、レミはベッドに追いやられ〔同じ部屋の一角にあるので、カーテンの隙間から見聞きできる〕、夫婦は2人で話し合う。夫:「よく、こんな真似ができたな? 俺に内緒で、奴を置いておくなんて。金は、全部あいつに使ったのか?」。妻:「何も隠してないわ。あの子の両親が捜しにくるまで、置いておけと言ったじゃないの! 見分けがつくように、産着もとってあるわ」。「このトンチキ! こんなに長い間 音沙汰ないのは、来る気がないせいだとは考えんかったのか?!」。「じゃあ、どうすりゃよかったの? 私にも あの子を捨てろと? 孤児院にやれと?!」。「それしかないに決まるっとる!」。「そんなこと、絶対させるもんですか!」(3枚目の写真)。「他に、手があるのか? もう金は入って来ないんだぞ。どうやって食わせるんだ?」。「そんな無茶、させないわ!」。2人は言い争いになり、レミは耳を塞ぐ。
  

口論が終わると、カーテンが開き、“母” が姿を見せ、「坊や、ごめんなさい。許してちょうだい」と言ってレミを抱きしめる。「その夜、母は、私を慰めてから、私の話をしてくれた」。「10年前の2月のある朝のこと、ジェロームはパリの仕事場に向かって歩いていた。そしたら…」。10年前の映像に変わり、ジェロームが、1人の男とぶつかる(1枚目の写真、矢印は、赤ん坊のレミが入った籠。右が、最後の方で顔を見せるロンドン在住のドリスコル)。ジェロームは、「どこ見て歩いてる!」と怒鳴る。男は無視して去り、建物の奥から赤ん坊の泣き声が聞こえる。ジェロームが近づいていくと、それは、如何にも高価な産着をまとい、立派な毛布に包まれた赤ちゃんだった(2枚目の写真)〔原作でも、一番謎の部分。ドリスコルは、イギリスのリトルハンプトンの西12マイルにあるミリガン・パークにある城から赤ん坊を盗み出し、リトルハンプトンかポーツマスから帆船でフランスに渡り、そこから恐らく鉄道でパリまで行った。1日ではとても無理な行程だ。授乳の問題もあり、本当に可能なのだろうか?〕。「…彼は、上等な産着に気付いた。そこで、金持ちの両親がいつの日が捜しに来ると期待して、孤児院ではなく、私のところに連れて行こうと決めた」〔ミルバッシュ高原はパリの南350キロにある平均標高500-900mの辺鄙な地。ジェロームは どうやって運んだのだろう? 汽車だと、パリ~ブリーヴまで499キロ、ブリーブで乗り換え、ユッセルまで92キロ。ユッセルから家までレミが歩いた時は1泊2日。ジェロームは仕事を途中で放り出して直行したのだろうか? こちらも、考えれば考えるほど不可解に思える〕。10年前のジェローム:「あまり、愛着を感じるな。いつの日か返すんだ」。こう言って、ジェロームは、またパリに戻った。「私はレミと名付けた。失くした子供のように」。そして、“母” は、大事にとっておいた産着と毛布をレミに見せる。「あなたのものよ」(3枚目の写真、矢印)。産着は、紋章の部分が切り取られている。レミは、「ぼく、孤児院になんか行きたくないよ、ママ。お願い、連れて行かせないで」と頼む。「心配しないで。そんなことさせないから」。
  

その後、ジェロームは、如何にも残酷なことを言ったかのように、「許してくれ」と妻に泣いてわびるが、これは唯の悪質な嘘泣き。“母” は、翌朝レミを起こした時、市からお金をもらえば、この先ずっと一緒にいられると話す。レミは、自分のことなので、「もし、村長さんが拒んだら?」と心配する。企みが潰れては大変と、ジェロームは、「そんなことしてみろ。この国には法律ってもんがある」と嘘を重ねる。2人とも無知なので、その言葉に喜ぶ〔ジェロームは、金に目がくらんで赤ん坊を盗んで来たくせに(警察に届ければ、何とかなっていたかも)、自分の不注意で大ケガをし、勝てもしない裁判で全財産を失うと、レミを孤児院にやることしか考えない〕。こうして、“母” は、安心して夫とレミを村に送り出す(1枚目の写真)。村の細い路地をジェロームと一緒に登って行ったレミは、彼が村役場の前を素通りしようとすると、すかさず、「中に入らないの?」と訊く。本性を顕したジェロームは、「役場には寄らん」と言う。「なぜ? どこに行くの?」。「気付いてるんだろ。孤児院に行くんだ」。「だけど、お金がもらえるって言ったじゃ…」。「うるさい! 俺と一緒に来させるために、そう言っただけだ。村役場じゃ、何もしてくれん」(2枚目の写真、矢印は「村役場」)「俺の財布はからっぽだ。だから、お前は置いとけん」。それだけ言うと、ジェロームは乱暴にレミの手を取り、孤児院に連れて行こうとする。レミは、「イヤだ」というと、脚の悪いジェロームを地面に押し倒し、登ってきた路地を家に向かって走って逃げる。しかし、ジェロームが、「誰か捕まえてくれ!」と言うと、村人はレミを追って行く(3枚目の写真、矢印はレミ)。
  

行き場を失ったレミは、カフェに逃げ込む。ジェロームが出口をふさぎ、奥には吠える犬がいるので、レミは捕まってしまう。しかし、そこに座っていた変わった姿の老人は、口笛一つで犬を静かにさせると、「その子は、村中の怒りを買うような、どんな重罪を犯したんだね?」と静かに訊く。「あんたに関係ないだろ」。それは、レミがルーセルの納屋で会った老人だった。「このガキは、孤児院に行くことを拒んでる捨て子だ」〔村人が、こんなジェロームに加担しているのは奇妙。レミのことは見知っているだろうから、もっと人情があるはず〕。「孤児院? まあ座りなさい。話しを聞かせてもらおう」。レミは、事の成り行きを心配そうに見守っている(1枚目の写真)。「思うに、あんたはその子に金を使いたくないから、手放したいんじゃないか? だが、その子が、金を稼いでくれるだろうとは、チラとも頭を掠(かす)めなかったのか?」。「幾らだ?」。老人は、テーブルの上に10フラン銀貨を3枚置く〔18000円〕。そして、「わしは、この子を借りたい。手初めに1年間。もし、役に立つと分かったら、もっと手元に置いておこう。どうだな? 30フラン。妥当な申し出だと思うが」。「何て、お名前で?」。「ヴィタリス、ヴィタリス親方だ。旅回りの芸術家にして動物の仕込み手だ」。そう言うと、黒犬のカピと小猿のジョリクールを紹介する。そして、青白くて栄養不足のレミは、哀れみを誘うのに役に立つ、と本当の目論見は明かさない〔本当は、納屋で聞いたハミングに才能を見出した〕。理由がこうだから、ジェロームが60フランと言っても、45フランと言っても取り合わず、金を引き上げようとする。そこで、ジェロームは30フランでOKする(2枚目の写真、矢印)〔原作では20フランから始め、最後は40フランで決着〕。こうして、1年間、貸し出されたレミは、逃げないよう、手を革ベルトで縛られてカフェから出てくる(3枚目の写真)。
  

ヴィタリスに連れられたレミは、“バルブランかあさん” の家の真上にさしかかる(1枚目の写真)。“母” は、ちょうど井戸で水を汲んでいる。そこで、レミは、「ママ!」と叫ぶ。それに気付いた “母” は、「レミ!」と言い、丘の下の柵まで来る。それを見たレミは、手を伸ばして、必死に「ママ!!」と絶叫する(2枚目の写真)。しかし、“母” は、ちょうど村から戻って来た非情な夫に阻まれて助けに行けない。原作では、“母” は村に行かされていなく、逆に、家で最後の取引が行われる。だから、映画のような悲惨な別れはない。「ぼくはこの道を何度も通ったことがあったから、最後の曲がり角に行き着いても、もう一度あの家は見えるけど、その先の台地にさしかかったら、たちまちもうお終いだ、何も見えない、と知っていた」と、淡々と書かれている。右の絵は、1880年の初版本以来使われているEmile Bayardによる挿絵。映画とは、雰囲気がまるで違う〔手も縛られていない〕。ここは、映画の方に軍配を上げたい。
 

最初の目的地ユッセル〔トゥールーズの北北東230キロ〕までは、途中で1泊する必要がある。2人は納屋で寝るが、その際も手をつなぐ革ベルトは外されない(1枚目の写真、矢印、天井にある木の歯車は、馬を使って行う何かの作業用のもの)。レミは、ヴィタリスが眠ったのを確かめると、革ベルトからそっと手を引き抜く。そして、自分の荷物を持つと、納屋の戸を開ける。すると、狼の遠吠えが聞こえたので、慌ててドアを閉める。その時のカチャリという音でヴィタリスが目を覚ます。そして、レミの前に立ちはだかると、「最初の規則。旅芸人は、夜になったら、何があろうと森に入っては行かない」と言う。レミが、荷物で顔を隠しているので、「怖がるのはやめるんだ。わしは叩いたりはせん」と安心させる(2枚目の写真)。「わしは、お前に痛い思いをさせるために連れて来たんじゃない。わしがおらんかったら、今夜、お前は孤児院にいただろう」。レミは、昔の産着と毛布を取り出し、すべてがこのせいだとばかりに、怒りをぶつける〔原作でも、2000年のTV映画でも、証拠の産着は “バルブランかあさん” がずっと持っている。村役場に行くだけなのに、なぜ、母はレミに大切なものを持たせたのだろう? それとも、孤児院にやることが分かっているので、バルブランが持たせたのか?〕
 

翌日、2人は、山上都市が見える所までやって来る。「お前の新しい人生に相応しい衣装を見つけよう」〔原作では、ここは先に述べたユッセルの町。しかし、ユッセルは、ミルバッシュ高原が終わった平地にある町なので、山上都市ではない。映画のロケ地はコルド=シュル=シエル(Cordes-sur-Ciel)という「天空コルド」の異名のある町。視覚的にはこちらの方が見栄えがする〕。町に入ったヴィタリスは、1軒の店で、きれいな衣装をレミに着せ、鏡の前に一緒に立つと、「嬉しいか?」と訊く。「これって、人目を引くため?」。「もちろんだ」(1枚目の写真)。費用は10フラン〔6000円〕。原作では、鋲を打った革靴、青いビロードの上着、ウールの長ズボン〔ヴィタリスがハサミで膝から下を切り落す〕、フェルトの帽子と書いてあるが、映画では、靴は同じだが、上着とチョッキは茶色、スボンは青で長く、帽子も対の青になっている。この帽子について、「雨やほこりにさんざん曝されて、初めの色が分からないくらいになっていた」と書かれているが、映画では新品だ。だから、えらく小奇麗に見える。そんなレミが、井戸の縁に腰掛け、ヴィタリスと話している。「なぜ、ぼくのために、こんなにお金を使ったの?」(2枚目の写真)。「きのうは、バルブランに銀貨を3枚渡したでしょ。今日はまた1枚。でも、ジョリクールは古いパンを食べさせられて不満そうだ。てことは、あなたはお金をあんまり持ってない」。「その通り。わしの稼ぎは少ない。それに、一座の蓄えのほとんどすべてをお前に使ってしまった。それは、お前にそれだけの価値があると思ったからだ。わしは、あの夜、お前が納屋で歌っているのを聞いた。無垢な心と美しい声の組み合わせは滅多にない。わしは、お金を入れる帽子を回すためにお前を雇ったんじゃない。歌って欲しいから雇ったんだ」。「歌うの? みんなの前で? でも、笑われるだけだよ」(3枚目の写真)。「お前が、牛にしてやったように歌えば、気に入られるぞ」。原作では、ヴィタリスは、レミの歌の能力に期待などしてない。だから、レミが最初にさせられた役は、“ジョリクールが新しく雇ったバカでドジな召使い”。だから、レミの服はお古でも構わない。
  

ここで、ヴィタリスは、非常に奇妙な自動演奏装置を背負う。ドラムの上にアコーディオンが乗り、ヴァイオリンらしきものが上下するというユニークな装置(1枚目の写真)。原作とも違うし、本当にこんなものがあるのだろうかと思って調べてみたら、「クルーズ県〔ユッセルのある県〕の演奏男」と題する1枚のハガキがあり(右の写真)、その男も自動演奏装置を背負っているので、19世紀末から20世紀初頭にかけて、この種のものが使われていたことは嘘ではない。町の子供達は、この音楽につられてヴィタリスの後を付いて行く。ヴィタリスが町の広場に入って行くと、そこにいた大人達も振り返って注目する。恐らく、楽しみなど他に何もない時代なので、こうした芸人は稀少な存在だったのであろう。だから、ヴィタリスが、「フランスはおろかヨーロッパ随一の豪華なショーと大風呂敷を広げた割には、カピを二足立ちさせただけで拍手かっさいとなる(2枚目の写真、矢印はカピ)。後は、カピのビッコの真似と死んだ振り。それが終わると、空間を広げ、輪くぐりジャンプをさせる(3枚目の写真)。ジョリクールは、ぴょんぴょん跳ねているだけで何もしない。原作では、犬が3匹いるので芸の数も多いし、ジョリクールはレミを相手に20分の芝居もする。
  

ヴィタリスはカピの芸が終わると、「公演の最後は、どんな硬い心も揺り動かす天使の声をお聴きいただきます」と言い、突然レミに振る。レミは、大勢の人に囲まれて拍手され、困ってしまう(1枚目の写真)。拍手が収まると、誰もがレミの歌い出すのを待つ。しかし、レミはどうしていいかわからない。「ぼく、どうすれば?」。「歌うんだ」。レミは、歌おうとして、無理だと分かると、人の輪から逃げ出そうとしてつまずき、ぬかるみに転んでしまい泥まみれになる(2枚目の写真)。ヴィタリス:「最初にしては、成功だと思われませんか?」。歌わずに、泥まみれになることが道化ショーだと思った群集は拍手するが、これだけでは大したお金にはならなかったであろう。町を出たレミは、泥まみれになった服を、歩きながら投げ捨てる。「何してる?」。「プレゼントを返してるんだ! もう二度とやらないから!」。「初舞台が怖いのはよくあることだ。いいか、2回目には…」。「2回目なんてない! 二度と歌わない。聞いてる? 二度とだよ!」。「怖いからって、その才能を眠らせはせんからな」。「なんで才能なんて言えるのさ? ただの犬使いのくせして」。「才能に出会えば、わしには 見分けがつくんだ! 否でも応でも歌うんだ」。「力ずくではできない! 前に、叩かないって言ったろ! 力ずくでやらせるなら、あんたは嘘付きだ!」。「そうか! なら、孤児院に連れて行くしかないな! 本気だぞ!」(3枚目の写真)。この言葉に、レミは何も言えなくなり、野原に座り込む。そして、「かまうもんか」とブツブツ独り言。
  

座ったまま動かないレミの元に、カピが筒状のものを届けに来る(1枚目の写真、矢印)。レミは中味を見てみるが、よく分からないので、仕方なくヴィタリスのところに行く。そして、高台に立っている十字架の脇に座っているヴィタリスの隣に座ると、もう一度、中味を見てみる(2枚目の写真)。それは、ヴァイオリンを弾く30-40代の男性の写真付きの記事だった。「これ、あなたなの?」(3枚目の写真、名前の下の文字は「Maestro Carlo Balzani」)。「ヴァイオリニストだったの?」。「それ以上だ。読んでみろ」。レミは何もしない。「文字を習ってないのか?」。レミは首を横に振る。「そこには、こう書いてある。昨日、偉大なヴァイオリニストが、夫人と子息を連れてヴィエナを発ちヴェネツィアに向かった。イタリア最高の社交界の前で演奏するためだ」〔こんなローカルなニュースがフランス語の新聞に載るのも変⇒イタリア語の新聞では、レミが読めなくても字を知らないせいだとは言えない⇒ここでは、ヴィタリスの前身を知らせるとともに、レミに字を教えるという方向に持って行きたいので、敢えてフランス語の新聞にした〕〔原作では、会話の中で、ヴィタリスは、レミが字は読めないと推察する⇒映像化が困難〕「分かるな? わしは、昔から、犬や猿の調教師だった訳じゃない。わしの音楽家としての才能は高く評価されていた。だから、歌の才能について語る資格はあるだろ?」。原作では、ヴィタリスが著名なオペラ歌手だったことをレミが知るのは、ヴィタリスの死後。
  

そして、1枚の四角の木片を渡す。「これ何?」。「アルファベットの最初の文字Aだ。他に25個ある。お前が、働きながら文字を学び、正しく組み立てることができれば、お母さんに手紙を書くことができるようになるぞ。その代わり、お前は歌の勉強に励め。そうすれば、ちゃんと歌えるようになる」。レミは、素敵な申し出を 笑顔で受諾する。映画では、その後、様々な景色を背景に、レミがアルファベットを覚えていく過程が映される。そして、ランプの横のテーブルの上に置かれたすべての文字(1枚目の写真)。これは、レミが26文字をすべて覚えたことを意味する。次は、文字と文字を組み合わせて単語にすること。そのシーンは、「MA」だけで終わり、次のシーンでは、一気に、“母” に宛てた長文の手紙を書いている。「バルブランかあさんへ。今は幸せだといいですね」(2枚目の写真)「別れの時はあんなに悲しかったから。ぼくは、書くことができるようになったので、これからはできるだけ手紙を出します。バルブランは、ぼくをいい師匠、とてもいい師匠に貸しました。ぼくを叩きませんし、一座の動物たちと一緒に食べさせてくれます…
 

…その上、ぼくに歌い方を教えてくれます。そして、もし人々の前で歌うようになれば、お金を稼げるという話です」(1枚目の写真)「そうなれば、もっと お金を送ることもできて、ルーセットを買い戻せます。優しいバルブランかあさんへ、愛を込めて。あなたのレミ」。この手紙は、村の神父が読み聞かせているので、“母” には字が読めないことが分かる。次のシーンで、ヴィタリスは、「これがお前の子守唄だ。これらの音符は、お前の心の最も奥深くにあるものを含んでいる。いつも、胸の近くに置いておくように」と言って、レミがいつも口ずさんでいるメロディーを楽譜にしたものを渡す(2枚目の写真、矢印)〔重要な伏線〕。そして、「最後の練習」と言われたレミは、目隠しをされて崩れた石垣の上に乗る。「お前は、技術を学んだ。後は、心の中でどう歌っていたか、思い出すだけでいい」。ヴィタリスは、いつも大事な時に匂いを嗅ぐ容器を持ち出し、レミにも嗅がせる。「これ、シャヴァノンの香りだ」。「歌って」。レミは、歌詞のない曲を歌い始める(ベストのサイトは⇒https://www.youtube.com/watch?v=69w5mZI1V0I)。ただ、歌っているのはマローム・パキャンではなく(吹替え)、ティボー・サレス(Thibault Sallès)というセミプロの少年。レミは心の底にあるものを出し切って歌う(3枚目の写真)。石垣の向こうでは、農作業をしている人達が聞き入っている。
  

夏になると、一座は気前のいいイギリス貴族を探し当てた」(1枚目の写真)。場面は、ハーパー夫人の一人娘リーズの誕生会〔先に触れたように、原作では、船で会うのは レミの本当の母・ミリガン夫人と次男の病気がちのアーサー(ただし、もっと後)〕。船は大西洋(ビスケー湾)と地中海を結ぶミディ運河に浮かんでいる〔ミディ運河は世界遺産。1692年に完成。全長240キロ。19世紀中頃に大改修が行われた〕。レミの歌が終わると、パーティに参加した子供達は、次のイベント、凧遊びに向かうが、レミも船を降りようとすると、召使に睨まれてあきらめる。身分違いを思い知らされた瞬間だ。レミが鉢植えの大きなバラの脇に寂しそうに立っていると、「悔しいの分かるでしょ? 私の誕生日なのに、参加できずに 嬉しそうにしてるのを見てるだけだなんて」と、バラの茂みの反対側から 女の子に声をかけられる。「なぜ、一緒に遊ばないの?」(2枚目の写真)。女の子(リーズ)が車椅子を動かすと、レミにも理由が分かる(2枚目の写真)。「わあ、ごめんね。障害があるなんて思わなかったから」。リーズは、「障害がある」と言われて、両手で顔を覆って泣く。レミは、近くに寄ると、「悪かった。そんなつもりじゃ。許して。バカなこと言って」と謝ると、嘘泣きをしていたリーズが笑い始める。「その顔、自分で見られたら面白いのに」。「ちっとも面白くないよ」。「面白いわよ。認めなさい」。ヴィタリスは、失礼なのでレミを遠ざけようとするが、ハーパー夫人は、娘が笑っているのを見るのが嬉しくて、2人をそのままにしておく。「それにね、もし歩くことができても、一緒に遊ぶのはごめんだわ。すごく退屈なんですもの」。それを聞いてレミは笑う〔リーズの病気は、股関節痛と紹介されるが、それは症状であり病名ではない。リーズが10歳以下で、車椅子まで使っていることから、ペルテス病(大腿骨頭の変形)の可能性が高い。現在なら、保存療法で炎症を引かせ、車椅子で移動するようにすれば、max1年程度で、装具をつけての歩行が可能となり、半年もすれば普通に生活ができるようになる〕。「私、リーズよ」。「ぼくはレミ」。2人は握手する。
  

ヴィタリスの一座は、リーズの誕生会が終わると、すぐに船を去る。旅芸人の宿命だ。一座がトラブルに巻き込まれたのは、原作ではトゥールーズでの最初の公演中。トゥールーズには、ミディ運河が貫通しているので、誕生会の後 訪れても不思議はない。当時のトゥールーズは人口14万人ほどの都市〔現在は45万人〕。公園でレミがカピに芸をさせていると(1枚目の写真)、「やめろ」と声がかかり、3人の警官が近づいてくる。「認可証を見せるんだ」。「認可状ですと?」。「この町で、革ひもや口輪をはめないで 動物を使った大道芸をしていいという市発行の認可証だ」。「そんなものが必要とは、知りませんでした。本当にそんな認可証が必要なんですか」。当然、警官は怒る。「私の判断を疑うのか?」。「そんなことはありません。毎年ここでやってまして、認可証のことを聞いたのはこれが初めてでしたので」(2枚目の写真)。「では、違反をしたと認めるのだな?」。「はい、でも、知らずにしたことですし、午後にでも認可を取りに行きます」。「では、お前には召喚状を出し、動物は没収する」。「でも、お巡りさん、法律を知らなかったと言ったでしょ」。「だからといって、違反していいことにはならん。動物を取り上げろ」。「わしの犬は、ハエ一匹すら殺しません」〔カピは怒って吠えている〕。「何を待ってる」〔2人の部下に〕。部下:「その雑種に指を食われたくありません」。怒った警官のボスは、カピに向かっていき、止めようとするレミの頬を思い切り叩く。これには、見ていた市民も反感を抱く〔裁判でも、警官に不利な証言をしてくれる〕。カピは警官に飛びかかり、腕に噛み付いたので、警官が警棒で殴る。それを止めようとしたヴィタリスは、2人の部下から警棒で何度も殴られる。ヴィタリスは、「逃げろ!」と叫び、レミは、ジョリクールを乗せたカピと一緒に逃げる(3枚目の写真)。19世紀末から20世紀初頭にかけてのフランスで、警官がこれほど横暴だったかどうかは分からない。ただ、原作では、ヴィタリスが興行を始めた並木道を担当する警官が、「目障り」「犬が嫌い」「任務の邪魔」の何れかの理由で立ち退かせようとし、ヴィタリスは「規則に違反していない」として断固拒否したことから、係争が始まる。こちらの方が、映画の横暴な警官より筋が通っている。なお、この撮影場所についても一言。この美しい庭園は、トゥールーズの北東70キロにある世界遺産の町アルビにある大司教館ベルビー宮(13世紀、現・トゥールーズ=ロートレック美術館)に残る刺繍花壇で、中世庭園の雰囲気を伝える稀少な存在だ(4枚目の写真、私の撮影)。公園とは言い難い場所にあるが、映画では、川を映さないようにして、上手に公園らしく見せている。
   

逮捕されたヴィタリスは、裁判にかけられる。警官の横暴を見ていた市民の証言から、ヴィタリスは無罪となった〔原作では、状況が異なるので、警官に対する侮辱ならびに暴力行為により有罪。禁固2ヶ月、罰金100フラン〕。しかし、その後が不自然だ。裁判官は、「しかし、被告の記録を調査したところ、驚くべきことに、身元に関する情報がすべて虚偽だと判明した。当法廷は、被告がこの場で本名と過去の潔白な素性を述べれば、寛大な措置を講じることとする」と述べる。ヴィタリスは、傍聴に来ているレミに黙っていろと目配せし(1枚目の写真)、レミもそれに従う(2枚目の写真)〔レミの立派な服は、逮捕後に会いに行ったハーパー夫人が買い与えたのだろうか?〕。黙秘したヴィタリスに対し、禁固2ヶ月が言い渡される〔罰金はなし〕〔なぜ? 偽証罪? 原作に合わせるため?⇒牢の中で結核をうつされる〕。裁判が終わると、レミは、すぐ、ヴィタリスの元へ行き、「なぜ本当のことを言わなかったの?」と責める。「それは、どうしてもできない。誰にも知られてはならないのだ」。ここで、ヴィタリスは、何があったかを話す。①当時、若かったヴィタリスは、妻と10歳になる息子に無関心で、上流社会の前で演奏してちやほやされることが生き甲斐だった。それでも、息子は毎晩、居間にロウソクを点けることを忘れなかった。②ある夜、恐らく風のせいでロウソクが絨毯の上に落ちて火事になり、妻と息子は焼死した。③演奏を続けることはできたが、ヴィタリスはヴァイオリンを弾くのを断(た)った。以来、懺悔(ざんげ)の思いで生きてきた。それを聞いたレミは、「ここを出られる時、迎えに来るよ」と言う(3枚目の写真)〔原作では、ヴィタリスはヴァイオリニストではなく、オペラ歌手。突然声が出なくなり、逃げ出した。だから、「懺悔」の思いなどはない〕〔レミはヴィタリスを突然奪われ、手持ちのお金が僅か11スー(500円弱)しかなく、泊まる所もないので、動物たちと森へ行く。食べる物がなくなり、気晴らしに、ミディ運河で歌っていると、ミリガン夫人の船「白鳥号」と出会う⇒映画では、レミはもうハーパー夫人と会っているので、すぐに夫人のところに戻る〕
  

夜、レミが、与えられた船室でヴィタリスの昔の記事を見ていると、ドアがノックされる。そして、「レミ、寝てるの?」とリーズが訊く。レミは急いでドアを開け、「ここで何してるの?」と訊く(1枚目の写真)。リーズは、「寂しくなったから」と言って、勝手に部屋の中に入る。レミは、夜中に女の子が部屋に入ってきたので困惑し、「ここに来ちゃいけないよ」と言いながら、部屋の片付けを始める。「それに、船の中を付き添いもなして動きまわるのは危ないよ」。リーズは、サイドテーブルの上に置かれていた立派な産着と毛布に気付き、手に取る。「どうして赤ちゃんのもの、持ってるの?」(2枚目の写真、矢印)。レミは、「触っちゃダメ」とひったくる。そして、やり方が乱暴だったので、「ごめんね」と謝る。「ぼくが、赤ん坊で拾われた時、それを着てたんだ」。ここで、リーズが産着を見て、捨て子だった話を聞いたことは重要な伏線となる。というのは、なかり後のシーンになるが、船からレミが去った後、ハーパー夫人がいとこの赤ちゃんの産着の布を見たリーズが、「それ、レミのと同じだわ」と気付くから(3枚目の写真)。母は、「そんなはずはないわ。これは、ロンドンで最も有名なお店のものよ」と否定するが、リーズは、「でも、レミは養子なの」と反論する。
  

順序は逆になったが、リーズがレミの部屋を訪れてから、2人の仲はますます親密になる。レミは、ジュール・ヴェルヌの『驚異の旅』から「八十日間世界一周」と「オクス博士の幻想」が合本された本を手に、楽しくリーズと語らう。それを見る夫人の顔は、如何にも嬉しそうだ。ある日、カピが急に吠え出し、ヴィタリスの声がする。それを聞いたレミは、「師匠!」と叫び、船を降りて一目散にヴィタリスの所に走って行く。そして、ヴィタリスの拡げた腕の中に飛び込む(1枚目の写真)〔原作と違い、船は一箇所に留まったまま。原作では、2人は手紙でやりとりをしていて、セートの駅までレミが迎えに行く。映画でも、2人は手紙でやりとりをしていて、ヴィタリスが船まで行くと伝えていたのだろう〕。船上では、ハーパー夫人とヴィタリスがレミの今後を巡って意見を戦わせる。レミもそれを聞いている〔原作では、レミは同席を許されない〕。夫人は、「レミには、ここで一緒に暮らして欲しいのです」と切り出す。「レミは、リーズをすっかり変えてくれました。ほんとに仲がいいんですよ。娘は、これから難しい手術を受けないといけません。手術後の回復期の間、レミがいてくれたら、どんなに心強いでしょう」と言う。ヴィタリスは、「その後は?」と訊く。「その後って?」。「お嬢さんが回復された後です」。そこで提示された案は、教育を受けて、最初にはリーズの執事になること。「歌はどうなります?」。ヴィタリスは、レミの天賦の才能について説く(2枚目の写真)。夫人は真面目に取り合わない。「マダム、あなたが約束された生活は確かに心地よく、わしが与えるものに比べれば危険は遥かに少ないものでしょう。だが、あなたは、この子の才能を認めておられない。あなたが、この子に与える人生は、あなたの家族への隷属でしかない。わしと一緒の険しい人生は、この子を鍛え、困難を乗り越えさせ、いつの日か、正面から堂々と社交界に入っていけるようになるでしょう。あなたは、お嬢さんの僕(しもべ)にと期待されておられるが、わしと一緒なら、もしこの子が望めば、いつの日か 誇りを持ってお嬢さんの手を取る〔結婚する〕こともできましょう。もちろん、すべては、この子の選択すべきこと。ここに留まるか、わしと一緒来るか、この子に任せましょう」〔この言葉は、原作のヴィタリスに比べ、遥かにレミを高く評価している。原作のレミは、ハープを弾いて歌うことしかしかできない。それは、動物一座クラスの才能だった。だから、ヴィタリスも、こんな高い理想を掲げることはできなかった〕
  

レミは、ヴィタリスの書いてくれた音符の紙と、ヴェルヌの本を前に置き、どちらを選ぶべきか考える(1枚目の写真)。そして、本をリーズに返す。「会いに来てくれる?」。「約束するよ」。レミは、夫人とリーズに見送られて船を去る(2枚目の写真)。次に映るのが運河沿いに歩くレミとヴィタリス(3枚目の写真)。映画にでてくるミディ運河は、カステルノーダリ(Castelnaudary、トゥールーズ南東約50キロ)の町の郊外。この辺りでは、結構曲がりくねっている。私が撮影した4枚目の写真は、その東15キロにある直線区間。時期は3月末なので落葉している。
   

ヴィタリスの励ましある言葉を聞いていなかったら、その後のレミの旅は、悲惨そのものだったろう。ヴィタリスは、咳き始め、手を見ると血がついている〔原作と違い、森の木は紅葉すらしていないので、船と別れを告げてから、それほど月日は経っていない。刑務所に入った最初の日に、同じ房の罪人が結核患者だと分かるが、それから2ヶ月、プラスαで咳に血が混じるのは、不可能に近い。入房してすぐ感染したとしても、免疫力の弱い高齢者でも発症(一次結核)までに6ヶ月以上はかかるのが普通だからだ。それに、発症しても、すぐに血を吐くまで悪化するわけではない〕〔その後の展開を見ても、ヴィタリスを敢えて結核にする必要はないので、なぜ、このような非論理的な設定にしたのか理解できない⇒レミに感染する可能性もある〕。「師匠の体力はどんどん落ちていった。その日は、あまりに弱っていたので、予定していた目的地に着くことができなかった〔原作では吹雪に襲われて、森の中で立ち往生したことになっている。この映画の撮影は春なので、雪のシーンの撮影ができなかったため、敢えて結核にしたのか?/その後、ヴィタリスは、医者に緊急入院を勧められたにもかかわらず、平気でロンドンまで行き(一度も咳かない)、悪者と格闘までしている。この辺り、かなり恣意的だ〕。ヴィタリスは、森の中で転倒し、持っていた松明の火が消えてしまう。真っ暗な中で、狼の遠吠えが響き渡る。怖くなったジョリクールは、逃げ出して木の上に登る。数匹の狼が姿を見せ、ボスが正面に現れる(1枚目の写真)。2人とカピは、数十メートル先にある小屋目がけて走る。小屋に着いても戸が開かないため、カピが来させないように戦う。ようやく戸が開き、中に入ったレミが必死に「カピ!」と呼ぶと、幸い、カピは傷を負わずに戻って来た(2枚目の写真)。一旦戸を閉めれば、狼を恐れる必要はない。翌朝になり、2人が木まで様子を見に行くと、ジョリクールは病気になっていた〔原作では、吹雪の中、木の上で一晩過したので肺炎になった。しかし、冬でもないのに肺炎というのは無理がある。以前紹介した『Entrelobos(エントレロボス/狼とともに)』では、高額予算の映画でなくても人工雪で冬の森のシーンを撮っていたので、これほどの映画なら、特殊効果で真冬にすれば、矛盾はすべてなくなるのに と思う。変なのは、このシーンの後、2人はロンドンに行くが、そこでは真冬。スタジオで撮った吹雪のシーンもある。2週間後にロンドンで真冬なのに、フランスの山中で紅葉もしてないなんて??〕。以上、不満がいっぱいの節でした。
  

村に着いたヴィタリスは、ちゃんとした宿屋に行き〔普段は、納屋〕、お金をカウンターの上に置き、「一番いい部屋を頼む」と言う(1枚目の写真)〔置いたコインは10枚〕。次のシーンでは、医者がジョリクールを診察している(2枚目の写真)。「動物のことはよく分かりませんが、恐らく肺炎でしょう。暖かくしてやって、あとは治るよう願うしかありあせん」。そう言った後、ヴィタリスの咳を聞き、「いつから咳を?」と訊く。ヴィタリスが「何でもない」と言っても、「診ましょう。追加の料金は結構ですから」と言うが、ヴィタリスは断る。それでも、別れ際に、「いつから咳を?」と再度訊く。「数週間」。「咳に血は?」。ヴィタリスは頷く。「すぐに処置を受けないと、どうなるか分かっていますか?」。「はい」。「気が変わったら、すぐに連絡して下さい。結核は、放置すると、命に関わります」〔嫌がらずに猿を診てくれたし、良心的な医者だ〕。医者が帰った後、レミは、「部屋代はどうするの? パンを買うお金すらないのに」と心配する(3枚目の写真)。「宿の主人に興行を依頼してみよう」。「そんなの無理だよ。ぼくたちだけで何ができるの?」〔この台詞は、原作なら正しいが、映画では間違っている。なぜなら、原作では、セルビノとドルチェが狼に殺され、芸達者なジョリクールが病気、レミの技は下手。映画では、カピは元気、ジョリクールは元々役立たず、レミの歌は抜群〕。「心配するな。今夜は、わしが自分でやる」〔この言葉をヴィタリスに言わせるため、先ほどのレミの言葉がある?〕
  

宿の主人は、暖炉の前に集まった聴衆に向かって、「世界的名声を誇る芸術家」という言い方をする〔ヴィタリスは、宿の主人に、どうして、このような言葉を言わせたのであろう?⇒まさか、裁判官にも黙秘した秘密を話したとは思えないし…〕〔それに、集まった聴衆(ほとんどは宿泊客)が、かなりレベルが高そうなのは、どうしてだろう? 単なる田舎の村なのに?〕〔原作では、村の市場で興行をする。ヴィタリス自らが言った「世界的名声を誇る芸術家」とはカピのことだ。入場者のほとんどは村の子供〕。ヴィタリスは、ずっと持ち歩いていながら数十年間封印してきたヴァイオリンを取り出す〔弦と弓の毛の交換や、調律が必須のはずだが…〕。ヴィタリスが弾いたのはメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調の第1楽章。ヴァイオリン・ソロだが、映画では、管弦楽も加わる。一流の聴衆からは一斉に拍手が(1枚目の写真、矢印はヴァイオリン)。しかし、終わった後で、レミが集まったお金を数えていると、僅か26フラン〔約1万円〕しかない(2枚目の写真、矢印は集まったお金)。40フラン集めなければならなかったので、大きな目論見違いだ。そこに、1人の若い女性が近づいてくる。そして、自分を音楽家にしたのは、彼女が少女だった頃、ミラノのスカラ座で偉大なCarlo Balzaniの演奏を聴いたからだと言い、それを今夜また聴けて驚きだったと話す。身分を隠したいヴィタリスは否定するが、女性は、イタリア語で、さようならと言うと、1ルイ金貨〔20フラン〕を置いて去っていった〔このシーンは、原作とほぼ同じ〕。レミは、「1ルイ金貨だよ!」と驚く(3枚目の写真、矢印は金貨を持つ手)。これで、目標の40フランには達した。しかし、喜び勇んで部屋に戻った2人が見たものは、冷たくなったジョリクールだった(4枚目の写真)。翌朝、2人は、ジョリクールを森に埋葬する。
   

ヴィタリスは、医者に診てもらうことにする。レミが外出から戻ってくると、宿の主人が「やあ、坊や」と言って、手紙を渡す。「今朝、届いたんだよ」。それは、リーズからだった(1枚目の写真、矢印は手紙)〔リーズからの手紙が届くためには、その前に、レミがこの宿屋からリーズに手紙を出していないといけない。ということは、相当の日数、2人は、このホテルの最上の部屋に泊まり続けていたことになる〕。一方、医者は、「今日にでも入院していただく」と強く言う(2枚目の写真)。「無理です」。「あなたは、もう何日も無駄にしておられる。戦っておられるつもりだろうが、肺は救い難いほど蝕まれています。医者の義務として申し上げるが、即刻治療を始めないと、手の施しようがなくなります」。長期の入院が必須なので、この言葉を受け、ヴィタリスは、レミとカピのことをどうするか真剣に悩む。そして、手紙を前に考え込んでいるレミの前に行く。「レミ、話がある」。ヴィタリスは入院のことを話そうとしたのだろう。しかし、レミの困った顔を見て、「どうした?」と尋ねる。レミはリーズの手紙をヴィタリスに渡す。手紙の内容→「レミ、手紙をもらって、どんなに嬉しいか。それは、あなたからの知らせが聞けただけじゃなく、どうしてもあなたに知らせたいことがあって、それでもどこに手紙を出したらいいか分からなくて、絶望的になっていたからなの。お母様と私は、あなたのご両親を見つけたんだと思うわ」。ここで、映像は船に切り替わる。リーズ:「レミは養子なの」。ハーパー夫人:「養子? あなた、何が言いたいの?」。「バルブランはレミの本当の両親じゃないの。レミが赤ちゃんの時、パリで見つけたの。その時、それと全く同じ産着に包まれていたのよ。レミは、ラベルが裏地から切り取られているのも見せてくれたわ。だから、レミには本当の両親があって、それが誰か知らないの」。ここで、手紙に戻る。「ママは、産着はロンドン製だから、あなたもそうに違いないと考えたの。そこでママは、あなたの話を友達に書き送った」〔10通以上の封筒が映る〕「そしたら、数週間後、弁護士のサー・ジェームズ・ミリガンから返事が来て、あなたに連絡して欲しいと言ってきたの」。レミ:「ぼくの両親だ。本当の両親だ」。ヴィタリス:「一緒に行こう」。「ありがとう、お師匠さん!」(3枚目の写真)〔原作では、ジェームズは弁護士ではない⇒貴族は弁護士になどならない。彼は、のらくら遊び暮らし、病気がちの甥のアーサーが早く死に、自分が死んだ兄の莫大な財産と地位を継ぐ日を待っている〕
  

ヴィタリスは、レミを連れてロンドンに行こうとする。その前には、まずパリに行かなければならない。ジョリクールが死んだ場所は不明だが、原作ではパリまで相当な距離を歩いたとある。ヴィタリスは健康上の問題もあるので、近くの駅からパリに向かったと思うのだが、汽車賃はどうしたのだろう〔46フランは宿代に消えた〕? 一旦、パリに着けば、そこからロンドンまで行く必要がある。こちらはもっとお金がかかる〔原作では、レミはマチアとロンドンに行くが、徒歩、プラス、密航なのでお金は要らない〕。映画では、こうした疑問はすべて無視し、フランスの山中の町から、いきなり、ロンドンにあるジェームズ・ミリガンの弁護士事務所に飛ぶ。そして、前にも書いたように、季節はいきなり真冬。あまりにも ご都合主義だ。ジェームズは、産着を見せるよう、レミに要求する(1枚目の写真、矢印)。そして、後ろに警官が2名いるのは、ドリスコルの赤ちゃんが行方不明になってから虚偽申告が何度もあったからだと説明する。レミは、「ドリスコル?」と訊く。産着を調べたジェームズは、「確かに君だ」と言う。「ドリスコルは、父さんの名前ですか?」。「いいや、父さんだけじゃなく、母さん、兄さん、お祖父さんの名前だ」。レミとヴィタリスは、ジェームズと一緒に馬車に乗り、ドリスコルの家に向かう(2枚目の写真、矢印はレミの乗った馬車)〔解説で述べたように、自動車が1台もいない。原作の時代1878年なら正しいが、それだと、レミが1940年にコンサートで歌う時には、1940-1878-11=73歳になっている。イギリスで自動車が普及を始めるのは1910年代に入ってからなので、仮に1905年とすると、ポスターのレミは、1940-1905+11=45歳で、写真(最後の節のポスターの写真)とは合致しない〕。レミが連れて行かれた先は、石造りの建物だが、1階と2階のすべての窓に外側から板が乱雑に打たれていて、異様な雰囲気だ(3枚目の写真)。すると、玄関のドアが開き、そこから醜い風貌の中年女と男が現われ、中年女はワザとらしい笑顔でレミを抱きしめる(4枚目の写真、右の男は、6節目の「レミの捨て子」のシーンで、ジェロームとぶつかった男)〔この男が、赤ん坊のレミをパリに捨てに行った⇒ドリスコルは、ジェームスに命じられてレミを殺そうとするが、気が弱くて出来なかったため、行ける限り遠くの場所まで行って、捨てた〕
   

レミを囲んで歓迎の食事が出される(1枚目の写真、右端が悪の権化ジェームズ・ミリガン)。その場で、偽の父親が顛末を話す。「その女は、俺を愛していて、結婚するに違いないと思い込んでいた。俺が、他の女性、お前の美しい母さんを愛しているとは、これっぽっちも考えなかった。愛しい妻に赤ちゃんができた時、女はそれを復讐のチャンスだと考えた」。「私の父は、誘拐について話した。嫉妬と復讐に燃えた女性が、結婚できなかった腹いせに、産まれて6ヶ月の私を盗んだのだ」。ヴィタリスは、「あなたは女性と言ったが、バルブランが赤ちゃんを発見した時に見たのは男じゃなかったのかね?」と矛盾を指摘する。嘘がバレそうになった偽父を救ったのは、首謀者のジェームズだった。「恐らく共犯者でしょう」〔問題なのは、それよりも、10代後半の “兄” がいること。この中年女が、わずか11年前に結婚し、レミを産んだのなら、この “兄” は誰の子なのだろう? なぜ、この矛盾にヴィタリスは気付かないのだろう?〕〔原作では、ドリスコルは約40歳、妻は35歳前後、この時点でのレミは13歳なので、それより年下の子が4人いる。だから、偽父の説明は同じだが矛盾は起こらない。映画では、なぜ年上の “兄” にしたのだろう(顔を見せるだけで、何もしない)? 脚本家も矛盾に気付かなかったのだろうか?〕。偽父は、「大事なことは、お前が戻ってきたことだ。違うか?」とレミに問いかけ、レミは、「そうだね」と答える(2枚目の写真)。食事が終わると、レミは、寝室に連れて行かれる。「お前が現れるとは思ってもいなかったので、何も用意できなかった」と言うが、せめてマットレスの上にシーツくらい敷くことできるのに、と思う。ヴィタリスは、レミのことが心配になり、「大丈夫か?」と訊く。レミは、「うん。いい… とこだね」と気丈に答える。「わしは、すぐにはロンドンを離れない」。「ダメだよ、病気重いんでしょ。ハンカチ見たよ。すぐに戻って、医者に診てもらわないと」。2人は抱き合う(3枚目の写真)。レミは、別れるのが辛くて泣いている。場面は、家の玄関に戻り、ヴィタリスが、レミの胸に入っている音符の紙を取り出す。そして、「わしが、お前の子守唄について言ったことを忘れるんじゃないぞ。これはお前そのものなんだ」と、改めて言う(4枚目の写真、矢印)。「いつまでも離さない。約束する」。ヴィタリスは、折り畳むと、再びレミの胸に戻す。馬車に乗ったヴィタリスに、ジェームズは多額の紙幣の入った封筒を謝礼として渡す。
   

ヴィタリスが去ると、レミは悲しくなってお粗末な寝室に行き、剥き出しのマットレスの上に横に丸くなって泣き続ける(1枚目の写真)。そのまま眠ってしまったレミの頬に、冷たい水が落ちてくる。それは、天井に開いた穴から、解けた雪が落ちてきたものだった。自分の部屋の上の階に興味をもったレミは、ベッドサイドのロウソクを持つと、部屋を出て階段を上っていく(2枚目の写真)。階段には、屋根に開いた大きな穴から、雪が吹き込んで積もっている。そして、上の階には、いろいろなものが雑然と置かれている。レミが引き出しを1つ開けると、中には、金歯が数百個入っている〔死体から盗んだ〕。レミは恐ろしくなる。それでも、隣の引き出しを開けると、今度は懐中時計がいっぱい入っている(3枚目の写真)。
  

その時、「ここで、何してるんだい?」と声がする。偽母は、「何ていけない子なんだ、このピーターは。わしらの宝箱を見つけるなんて」と言う。「ピーター? 会った時はポールと言ってたよ」。偽母は、レミを捕まえようとするが、すばしこいレミは玄関から外に逃げ出す。すると、そこにはジェームズがいた。「ミリガンさん、ドリスコルはぼくの両親じゃないよ!」。「もちろん 違うとも」。驚くレミの口を、後ろから偽父が押さえ、そのまま家の中に連れて行く。ジェームズは、控えていた警官に、「思っていたより早く終わりそうだ」と言うので、2人は偽警官だ。レミは食堂に連れて行かれ、「黙ってろ、さもないと、たっぷり鞭をくらわすぞ!」と脅される。そこに、走らされて苦しい思いをした太った偽母が現われ、夫に、「今すぐ殺(や)っちまいな」と言う。「何だと?」。「殺すのさ。はじめから、その手はずだろ?」。そして、暖炉の上から金属製のロウソク立てを掴み取ると、「これで殴り倒しておけば、やりやすい」と言いながら夫に手渡す。「おやりよ」(1枚目の写真、矢印はロウソク立て)。偽父が、レミに向かってロウソク立てを振り上げると、それをニヤニヤしながら見ていた偽兄を、後ろからヴィタリスが鈍器を使って殴り倒す。そして、カピが、偽兄の喉に噛み付こうとする。偽母は、「坊や」と自分の大きな息子のことを心配し、夫に、「何とかしなよ」と言って、ヴィタリスの方に突き飛ばす。ヴィタリスは、偽父の顔をテーブルに叩き付ける。そして、腕をねじ上げ、「お前は誰だ? なぜこの子を殺そうとする?」と詰め寄る。「なあ落ちつけよ。悪いのはみんな弁護士の野郎だ」。「ミリガンか?」。「そうだ。奴は、その子のほんとの家族で、叔父なんだ。すべては相続のせいだ。その子のほんとの父親が死んだ時、ミリガンはすべてを手に入れるはずだった。問題は…」。ヴィタリス:「死んだ夫の妻が妊娠してたんだな?」。「そうだ。その子が、真の相続人だ。その子が産まれた時、奴が俺に会いに来た。消すのが俺の仕事だからな。寝ている間に窒息させれば、自然に死んだことになるはずだった。だが、やろうとしたができなかった。大人なら平気なんだが、相手が赤ん坊だったからな。仕事を受けちまった後だから、俺はできるだけ遠くに赤ん坊を持って行き、ラベルを全部切り取り、出自がわからないようにした」。「ミリガン夫人は、どこにいる?」。偽父は、言うのを拒むが、カピに首を噛むよう命じる素振りを見せると、「バーネットの村の近くにあるミリガン・パークだ。ロンドンから2時間くらいだ」と白状する。ヴィタリスはレミを先に行かせ、「わしらは、今から出て行く。その後で、カピはお前の息子を自由にする。分かったな?」と言い、部屋から出て行く。誰もいなくなると、悪女は「ミリガンさん、助けて!」と叫ぶ。ミリガンと偽警官2人が玄関から入って行くと、その下の通用口からヴィタリスとレミが出てくる(3枚目の写真)〔それにしても、①ヴィタリスはなぜ戻ったのだろう? ②ヴィタリスはどうやって、ジェームズに気付かれずに玄関から入ったのだろう? ③重症の結核患者のヴィタリスが一度も咳かず、悪漢の偽父を簡単にねじ伏せられたのはなぜだろう?〕〔原作では、こんなドラマチックな展開は全くない〕
  

猛吹雪のため、雪で覆われた真っ暗な道なき道を2人はバーネットに向かって歩いて行く。途中で、道標だけが雪の中から突き出ている所に来る。そこには、「バーネット 3.5マイル〔5キロ強〕」と書かれている。雪が深いので、簡単には行けない距離だ。途中で、レミが力尽きて倒れてしまう。そこからは、ヴィタリスがレミを抱いて歩く(1枚目の写真)。すると、行く手に黒い影が見えてくる。近づくと、それは、小さな教会堂だった(2枚目の写真)。
 

近づいてみると、それは教会の廃墟で、屋根はなく、内部は雪で覆われていた。救いは、風の力が弱く、中で焚き火ができたこと(1枚目の写真)。「少しは暖かくなったか?」。「ええ」。カピは、火で温まろうとせず、主人を救うため、助っ人を呼びに吹雪きの中に走って行った。「さよなら、友よ」。「カピは、行っちゃったの?」(2枚目の写真)。「心配するな、戻ってくる」。さらに、「わしを幸せにしてくれるか? お前の歌が聞きたい。大きな声でなくていい。ちゃんと聞こえる。わしのためだ」とレミに頼む。レミは、目を閉じたまま、ハミングを始める。ヴィタリスは、匂いの容器を持ち出し、今生の別れをする。ヴィタリスの最後の言葉は、「ありがとう、わが息子よ」だった。そして、焚き火の火が消える(3枚目の写真)。
  

カピが助っ人を呼んできて、レミはミリガン・パークに運ばれる〔カピが、バーネットの村に行けば、村民はわざわざミリガン・パークには連れていかない。ということは、カピは、偶然にミリガン・パークに行ったことになる〕。レミが気がつくと、そこには1人の女性(ミリガン夫人)がいた。カピが寄ってくる。レミは、夫人に、「ぼくの お師匠は?」と訊く。「残念ね、坊や」。レミは悲しみに沈む。部屋を出た夫人は、執事に、「休ませておいて。必要なことは何でもなさい」と命じる。そして、客間に下りていく。そこには、早々とジェームズが来ていた。「彼は起きた?」。「ええ」。「結構、じゃあ渡してもらおうか」。「だめよ」。「あの小僧と、奴の師匠が、あなたを騙そうとしたことが分からないのかな?」(2枚目の写真)。「分かってるわ。でも、あの疲れた子は、大事な人を失ったのよ」。「悲しみを装った犯罪者を許すつもりかね?!」。「なぜ、そんなに激高するの? これまでにもあったじゃないの」。「あなたを守るのが私の務め。誰もそばには寄せつけない」。「心配は無用よ。歩けるようになったら、連れて行けばいい」。「長く待たせないように」。ジェームズは、レミが一言でも話したらピンチなので、必死だ。夫人は、メイドがレミの服をどうしようかと考えているところに現れる。そして、置いてあった1枚の紙に目を留める。「これは何?」。「シャツの中にありました。すごく大切なものなのでしょう」。夫人はそれを見る(3枚目の写真、矢印)。夫人は楽譜が読めたので、そこに書かれていたメロディーが分かる。そして、それがどんなメロディーなのか分かると 気絶する。
  

レミが、目を覚ますと、待機していたメイドが、「お早うございます」と言う。「今日のお加減は?」。「よくなってます」。「でしたら、奥様がお話を されたいそうです」。「もちろんです」。メイドは、レミを子供部屋に案内する。レミがテーブルの上に置かれている様々なおもちゃの中から、小さなメリーゴーラウンドに触れていると、背後から 夫人の声がする。「ここは、息子の部屋だったの。毎年、模様替えをしてきたわ。どんな玩具なら気に入ってくれるか、どんな冒険物語なら聞きたがるだろうかと思って。この部屋で、あの子を最後に見てから、今度の春で11年になるの。子守唄を歌いながら、揺り動かして寝かしつけたのを、今でもよく覚えてるわ。お母様から教えていただいた曲よ。今日になるまで、それを覚えているのは、私一人だと思っていた」。そう言いながら、夫人は、レミの持っていた楽譜を見せる。そして、レミの前に膝をついて座ると、「私の坊や」と涙と笑顔半々で呼びかける(1枚目の写真)。レミは、夫人の肩に頭をつける(2枚目の写真)。「こうして、私は、母と巡り会えた」。
 

ジェームズ・ミリガンは、刑務所に長く収監された後、国外追放となる(1枚目の写真、矢印はレミ、その左には見えないが夫人がいる)〔原作では、夫人は告訴しない。ジェームズは海外で破産する〕。レミは、ヴィタリスの遺志を尊重し、“あらゆる手を尽くして私を救ってくれた素晴らしい旅芸人の名〔ヴィタリス〕” で埋葬する(2枚目の写真)〔原作では、ブロンズの胸像付きの墓石を建て、有名だったオペラ歌手の本名で、パリのモンパルナス墓地に再埋葬する〕。そして、それ以来、毎日欠かさずお墓に行き、ヴィタリスを偲ぶ。レミが登場する最後の場面は、プレゼントの雌牛を連れて “バルブランかあさん” に会いに行く姿(3枚目の写真、矢印は雌牛)。彼女は、夫が死ぬと、イギリスに来てレミと一緒に暮らした〔原作では、雌牛をプレゼントするのはずっと前だし、夫はさらにもっと前に死んでいる。でも、最後は、レミに子供ができると、乳母としてイギリスに渡る〕
  

映画のラストは、80歳くらいになったレミが、階段の脇に飾ってある記念の額(20個ほどある)をじっと見ている。その中で最初にクローズアップされるのが、解説で引用した1枚目のポスター。矢印の小さな文字の部分に、「1940年10月6日 日曜の夜」と書かれている。他の文字付きのものは、ボローニャ市立劇場でヴェルディのオペラ『リゴレット』で高名なレミ・ミリガンが来場することを告げたポスター。後の3点は写真だけ。昔を懐かしんだレミは、寝室に行く。横に寝ているのはリーズ〔残念ながら、幼いレミがリーズと再会する場面はない〕〔原作でもレミはリーズと結婚する。ただ、映画のリーズは貴族の娘だったので、貴族同士ということで問題はなかったが、原作のリーズは、パリの花作り農家の娘。身分違いの結婚ということで、親戚からは嫌な顔をされた〕。映画の最後の場面は、今はレミのものとなった城館。門の横には、「ヴィタリス孤児院」と表示されている〔原作では、「旅行案内書に見どころとして記され、見物人が訪れるほどの由緒ある古城」とあるが、映画の城館は、遥かに格下(そもそも、門から城が間近に見える。イギリスの有名な城は、門から数キロ入ったところにある)〕
  

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